水    分   道

参加者・・・・・梶、、庵上、中村和、,岡部、駒井、納城、松田、高田の8名,

再建町石   40町石

再建日    2013年12月21日

今回、超久しぶりの町石再建。八石目になった。今回も私たちグループが発見したのではなく今は当会のショウタンさんのブログから発見、ブログの中にその石があった。再建当日はショウタンさんは同じ当会のアイゼントレーニングがあってそちらに行かれた。


12月21日((土)に久しぶりに町石作業でした。水分道 標高480m付近に四十町石が横たわっていた。登りのきつい箇所で、今まで気づかなかったが、ショウタンさんのHPで記載され 今回立て直しをすることになった。雨の中 ちはやあかさか道の駅を出発する。すいせんの丘には、早咲き水仙があちらこちらに咲いている。広域農道を渡り、五十九町石を見る。水分のみずわけ場所を見学。見晴らしのきく場所からは、大阪湾越しに神戸の街が光って見える。道の駅から約1時間45分で現地に到着。先発隊のまっくんが首を長くして待っていた。早速雨が降る中 作業開始 スコップと鍬で町石の根元を掘る。なかなか根元が出てこない。町石に横の木の根が絡みついている。倒れて長い時が過ぎているのか。斜面で足場も悪く、町石も大きく四苦八苦の末、町石を起こす。ロープを使って、回転させ、水分道から町石の表が見えるようにする。そして 締め固めながら埋め戻す。目測で全長約5尺(約1.5m)ぐらいか?根入れは40〜50cmぐらいか?押しても引いても動かないことを確認して作業を終了し、解散する。水分道の町石は二町石,十八町石,四十町石,五十九町石の四つが現在あり、山頂から建水分神社まで六十六の町石があったとのことである。ほかの町石はどこに行ったのか?はたまた静かに眠っているのか??
参加者は、先発隊 まっくん 後発隊 JJさん、単独行さん、kazeさん、未満さん、紬さん、駒ちゃんとshoの8人でした。SHO記

今上記以外に存在する関屋道の町石。

関屋道 42町石

関屋道 43町石

関屋道 47町石

関屋道 49町石

関屋道 34町石

今の所今回で町石起こし作業は終了となったが、今後は場所を特定して探索なりをしながら歩いて見たいと思っている。

皆様、今後も宜しくお願いいたします。

尚この掲載事項でお気づきになられたことやここは改正したほうがとか付け加えたらとかあればおっしゃってください。私(高田)がまとめたもので納得いたしておりませんので皆さんのお声を頂戴してこのページを完成させたいと思っております。皆様の御協力をお待ちしております。最後ですが、各個人名は敬称を略させていただきました。

ここからリンクさせて頂けるもの。よろしければリンクさせていただきたいと思います

修  羅   (炉端の会所有)

某畑にある関屋道の町石、1・2・3・6町石があります。多分309号線のバイパス工事に伴い移設されたものと思われます。(T氏(HNおっ言様)の情報提供)

今回で6回目、7石目になった町石再建。今回は私たちグループが発見したのではなく誰かがその石を発見され判りやすいように少し起こして間伐材を枕にして『起こしてクレ〜』って言わんばかりの置き方だった。この行為に関しては私たちのグループ全員「大感謝!」である。


第6回目の町石起こしはひょんなことで始まった。当分町石起こしの作業はないだろうと思っていた矢先にそれが起こった。私たち炉端の会が某サークルのリーダー様を百々川に案内してダイトレまであがって山頂を目指して歩いてるときにダイトレの西側斜面にその町石があった。どこのどちら様か判らないが転げ落ちていた町石を半分埋もれていた状態より起こして間伐材を使って枕にして皆に判る様にしてくれてあった。感謝である。早速炉端の会の掲示板で町石お越し隊を募集した。今回は以前の39町石の近くだった。永らく出番のなかった修羅の出番が来た。前日まで水越峠の東屋近辺で集合予定だったが葛城山のつつじ見物の時期と重なった為駐車場や路上が満杯状態になるだろうと予測。仕方なく石筆橋近辺に駐車させていただき峠まで歩きダイトレで現場に向かうことにした。私たちは一足先に現場に到着。今回の参加者は12名。先発隊はとぼとぼ、LEO、RIKO、Strayer、単独行、Ryuu、、権、ヨッピー、奈良の爺々の9名。山頂からまっくん、法香の2名、最後に御大、水越峠よりバスで来られた未満で全員集合は10時半ごろだった。修羅は第2回目の39町石を引っ張りあげたときも下から担いで上がってくれた権にお願いした。先発隊が埋め込む為の穴掘り、石を修羅に乗せ括り付けロープをつけて全員が揃ったところで引っ張りあげる手筈にしておいた。皆が揃ったので作業開始。手筈が揃っていたのであっと言う間に終わってしまった。後は山頂に行って食事。帰りは別れて一部は旧石ブテ尾根道を下った。

以前から伏見峠の少し下ったところにその町石は横たわっていた。それが小和道35町石でした。


第4回目,小和道の35町石の再建だった。当初は千早本道の山頂より一段下がったところの町石探しが発端だった。まっくんが町石らしきものが近辺にあるのでそれを起こしてみようと呼びかけた。初めに山頂の井戸の周りに集合と言うことで各自がいろんな登山道からそこに集まった。今回はとぼとぼ、水分道常連、LEO、Kinokuni、まっくん、法香、奈良の爺々の7名とKinokun家のロッキー君、爺々家のまりの二匹も参加した。山頂直下の町石は大日如来像らしいが目星をつけていた石はそれではなかった。「ガクっ」で気を取り直し以前から伏見峠の下にある小和道の35町石を起こしに行くことに。ここも最近道の真ん中に倒れていて階段代わりに使われていたものだ。狭い道の端に寄せて起こされた石を埋設した。時間が余ったので青崩道にあったこれも階段に使われてる石をそれではないかと掘り返しに行ったが当てが外れた。そこからはセトまで皆一緒にそこから、まりと奈良の爺々だけ青崩に下るため皆とお別れした。

第三回目、関屋道25町石、36町石(朝原寺跡の少し上・ダイトレの東側の道端に埋もれていた。下の2箇所の写真右参照)


三回目の町石建て直し作業はダイトレの東側の道端の木の根元に頭だけを出していた。それと朝原寺跡の少し上、関屋道の左側少し奥に横たわっていた。ここもまっくんが関屋道を散策していて発見した。ここでまっくんが炉端の会の掲示板に載せ皆さんで3回目の手直し隊が結成された。今回も祈りの滝に集合して現地に向かった。参加者は風のささやき、とぼとぼ、水分道常連、未満、ryuu、まっくん、奈良の爺々と爺々家のまりの7名と1匹。初めに朝原寺跡の上に向かう。普通山道を歩いていたら目につかないだろうと思われるところにあった。早速手分けしてまずは設置する為の穴掘りから初め、町石をエッチラおっチラ運んできて埋め込んだ。続いてダイトレまであがり36町石の埋まってる所へ移動。途中お昼になったんでダイトレ上で食事と休憩。早速36町石まで移動して作業開始!だが中々手強い、木の根っこが邪魔をしてしかも深いものだから一向に取り出せない。今回初めて苦労した。皆さんの踏ん張り・頑張りでどうにか引っ張り出し、建立できた。初めて苦労した一石だった。(後にも先にもこれが一番苦労した)。終わったあとは山頂まで行かずダイトレを下った。

2006年10月14日    関屋道ー36町石

を歩く

2008年5月18日    関屋道ー38町石

2006年9月17日    関屋道ー39町石

2006年4月6日    関屋道ー17町石

再建日    2006年4月16日

関    屋    道

参加者・・・・・とぼとぼ、未満、LEO、RIKO、Strayer、単独行、Ryuu、まっくん、法香、権、ヨッピー、奈良の爺々の12名,

再建町石   38町石

再建日    2008年5月18日

参加者・・・・・とぼとぼ、未満、RIKO、まっくん、法香、ピースケ、スキッパー、奈良の爺々の8名

再建町石   26町石

小    和    道
再建日    2007年11月23日

第5回目には昔から小和道にあった。小和道を歩いてる人なら大抵の人が知ってる26町石でした。石寺跡の上、欽明水の下にあった。


第5回目はひんやりした一日だった。天ケ滝新道の登山口、さくらの広場に朝集合した。そこから小和道の町石を見ながらその道を上がっていった。途中小和道を外れて高宮廃寺跡を訪れ社会勉強!?。ここからいつもと違うルートで今日の町石起こしの現場に向かう。今日の参加者はとぼとぼ、未満、RIKO、まっくん、法香、ピースケ、スキッパー、奈良の爺々の8名。この町石は以前から確認されていたものだったがいよいよ今日起こされることになった。やや笹薮の中などを通り現場に到達。長い間ここに横たわっていたものがいよいよ起こされることに。私も随分前からここにあったことを覚えている。初めてこの道を通った時にもここにあったことを鮮明に覚えている。現場は当時ここを通っていたがいつの間にか横の植林の中を通るルートができていた。もうすっかり慣れた作業で今回もすんなり完了。あとは欽明水を通りその先を直進して伏見道にジョイントするルートを案内していただいた。千早園地のログハウスでお昼の食事をしていたらBeと逢った。皆で山頂に出向き又山頂の売店でミーテイング?しばらく話し込んで下山しました。伏見峠からBeと法香が念仏坂を下り私たちは小和道を下りた。



参加者・・・・・とぼとぼ、水分道常連、LEO、Kinokuni、まっくん、法香、奈良の爺々の7名とKinokuni家のロッキー君、爺々家のまりの二匹。

再建町石   35町石

小    和    道
再建日    2007年4月1日

2007年11月23日    小和道ー26町石


関   屋   道

金剛山の山頂に至る道には町石が置かれていた歴史ある道が4本ある。河内側から登る「水分道」と「千早道」、大和側から登る「関屋道」と「小和道」の4つのルートです。その内の関屋道・小和道の町石を私たち炉端の会が、埋もれていたものや元あった場所から低いところに落ち込んでいったもの、倒れてそのまま放置されていたもの等を見つけては起こし引っ張りあげては設置する作業を2006年の4月16日から行ってきた。そのほとんどが新発見のものばかりとは嬉しいかぎりだ。(小和道の2町石は以前から確認されてはいたが)今回2008年5月18日に設置、埋設した町石で計7本に及んだ。今後、見つかり次第その作業を私たち炉端の会の全員が続けていきたいと思っている。尚この作業等は奈良県風致環境課自然環境係に相談の上にて行っている。

2007年4月1日    小和道ー35町石

第一回目、関屋道17町石、これが私たちが最初に手直した町石であった。やや緩い斜面に斜めに深く埋もれていた。(下の写真右参照)


この記念すべき一回目の町石に関する作業は少し前に剛友会の名誉会長根来氏と会員の未満が関屋道散策の折、偶然発見され「これは町石だね」って話から再度炉端の会員がこの近辺を散策。「十」の文字が見えますよ。あとはとんとん拍子でネット仲間が「掘り起こして建てましょう」と4月16日の日を決めて、近くの祈りの滝に集合。奈良の爺々だけが愛犬まりと道具を持って太田和地蔵の前でみんなの来るのを待っていた。この時は先記の奈良の爺々と風のささやき、水分道常連、Be、未満、権、ヨッピー、と爺々家のまりの7名と一匹がこの企画に参加した。当時は今みたいに皆をお誘いしたのでなく「あそこにあるから皆で行きましょう」と出かけて行った。作業は案外すんなり起こせて、もし次回からこんなことがあれば「皆で力をあわせて頑張りましょう」と、第一回目は無事終了した。

修羅に乗って登山道まで引き上げを待つ町石。

2006年10月14日    関屋道ー25町石

再建町石   17町石

参加者・・・・・風のささやき、水分道常連、Be、未満、権、ヨッピー、奈良の爺々と爺々家のまりの7名と一匹


参加者・・・・・風のささやき、水分道常連、Be、未満、、権、ヨッピー、まっくん、奈良の爺々の8名

再建町石   39町石

関    屋    道
再建日    2006年9月17日

第二回目、関屋道39町石、(ダイトレの西側の斜面に転げ落ちていた。下の写真右参照)


二回目の町石建て直し作業はダイトレの西側斜面に転げ落ちていた石を金剛山登山道情報の管理人まっくんが発見した。会の全員が何回もこのダイトレ上を歩いているのに誰も気付かなかった。まっくんの目に私たち驚いた。さ〜ここで問題が。この町石、体積から割り出すと130Kgはあるでしょうと当時私たちと一緒に行動をともにしていた人の計算だった。「スワッ!そんなに」「あの斜面を引っ張りあげるにはウインチが」「いや、滑車があれば何とか」とか、すったもんだで大いに盛り上がった。爺々が石のまま引っ張り上げるのは辛かろうとミニの「修羅」を作った。この作業、掲示板で参加者を募って一旦日程を決めたが台風接近の天気予報。前日に中止と決定。当日天気予報とうって変わって良いお天気!急遽その日に有志を集め(奈良の爺々が連絡係)作業を決行した。このときの参加者は風のささやき、水分道常連、Be、未満、権、ヨッピー、まっくん、奈良の爺々の8名だった。現場では初登場の修羅に町石が乗せられ、ロープで引っ張りあげた。何の道具もいらなかった、取り越し苦労だった。皆で引っ張りあげればここでもすんなり事が運んであとは穴を掘って町石を埋め込んで終了。天気も何事もなく記念写真を撮って山頂に行った。


参加者・・・・・風のささやき、とぼとぼ、水分道常連、未満、ryuu、まっくん、奈良の爺々と爺々家のまりの7名と1匹。

再建町石   25町石・・36町石の2基

関    屋    道
再建日    2006年10月14日